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開けてビックリ玉手箱:ミグ25亡命事件が暴いた半導体競争の原点

新聞紙面に描かれたミグ25と真空管、ICチップのイメージ

ミグ25亡命事件は、半導体競争の原点を人々に見せた事件だった

前回の記事では、日本の半導体産業が、真空管からトランジスタ、IC、LSI、そしてAI向け半導体へと続く大きな技術の流れの中で発展してきたことを見ました。

今回は、その続編として、半導体競争がすでに冷戦時代から軍事と国家戦略の中心にあったことを、1976年の「ミグ25亡命事件」から考えてみます。

この事件は、単なる冷戦の軍事秘話ではありません。今のGPU競争やAI向け半導体競争にもつながる、非常に象徴的なエピソードです。

1976年9月6日、ソ連防空軍のヴィクトル・ベレンコ中尉が、アメリカへの亡命を目的に当時のソ連の最新鋭戦闘機ミグ25で北海道の函館空港に強行着陸しました。西側にとって、これはまさに「棚からぼた餅」でした。欲しくても手に入らなかったソ連の最新鋭機が、向こうから飛び込んできたのです。

西側が恐れた、マッハ3の怪物

日没後の青紫の空を高速で飛ぶ黒いミグ25風の飛行機

1970年代の西側にとって、ミグ25は長いあいだ秘密のベールに包まれた機体でした。巨大なエアインテーク、鋭い機首、高高度をマッハ3級で飛ぶとされる異常な速度。その姿は、まるで冷戦の空に現れたモンスターのようでした。

ペンタゴンをはじめとする西側の軍事関係者が頭を抱えたのは、この速度です。レーダーで捕捉できても、迎撃機が追いつけるのか。ミサイルを発射しても間に合うのか。もし空中戦になれば、西側は負けるのではないか。ミグ25は、そういう不安を抱かせる機体でした。

しかも、ミグ25の正体はよく分かっていませんでした。機体材料、航続距離、レーダー性能、電子装備の水準も謎に包まれていました。見えない部分を想像が補い、その想像がさらに恐怖を膨らませていったのです。

中東での「粉飾飛行」

ミグ25の神話を大きくした背景には、中東での飛行があります。1970年代初頭、ソ連はエジプトにミグ25の偵察型を送り込み、シナイ半島やイスラエル周辺で高高度偵察飛行を行いました。

イスラエル空軍はF-4ファントムなどで迎撃を試みましたが、ミグ25はあまりに高く、あまりに速かったため、捕捉しても撃墜することができませんでした。一部の飛行では、マッハ3やマッハ3.2、それ以上とも伝えられる速度で飛行したとされます。この数字は、西側に強烈な印象を与えました。

この飛行には、ソ連が西側に対してマウントを取るような側面もあったと考えられます。ただし、完全なハッタリではありません。ミグ25は本当に速く、高く飛べる機体でした。

しかし、マッハ3級の速度は、機体に余裕があって日常的に使える性能ではありませんでした。エンジンを酷使し、機体に大きな負担をかけながら絞り出す全力疾走でもあったのです。

粉飾決算が会社の株価を上げるものだとすれば、中東でのミグ25は、いわば「粉飾飛行」だったのかもしれません。完全な嘘ではない。けれど、実態よりも強く見える。ソ連はその一瞬の最大性能を、西側に最も恐ろしく見える形で見せつけたのです。

棚からぼた餅で落ちてきた玉手箱

そのミグ25が、1976年9月に函館空港へ飛び込んできました。ベレンコ中尉の亡命は、西側にとって思いがけない巨大な情報収穫でした。

ソ連は激しく抗議し、機体の即時返還を求めました。それも当然です。ミグ25は単なる飛行機ではありません。ソ連が隠し続けてきた軍事機密の塊でした。しかもベレンコは、機体だけでなく操縦マニュアルや運用知識も西側にもたらしました。

ベレンコは、ソ連が機体を破壊しに来るので機体をすぐに隠すように言ってきます。

もっとも秘密にしたかった怪物が、亡命者によって丸ごと西側へ渡ってしまった。これほど皮肉な「棚からぼた餅」はありません。

開けてビックリ玉手箱/最新鋭戦闘機の中身は

米国整備士がミグ25を分解し、真空管だらけの航空電子機器区画を調査するイラスト

そして、調査が始まります。日米の専門家がミグ25を分解していくと、西側が想像していた姿とは違う現実が見えてきました。

機体はチタンの塊ではなく、主に鋼材で作られていました。そして電子装備、とくにレーダー周りには、当時の西側から見ると古めかしい真空管技術が多く使われていました。

このとき、現場のメカニックやエンジニアの中には、驚きと同時に懐かしさを覚えた者もいたと言われます。真空管は、昔のラジオや古い電子機器の中で見たような部品だったからです。

西側は、未来の高速兵器には最先端の半導体が詰まっているはずだと想像していました。ところが、秘密の玉手箱から出てきたのは、真空管を多用した航空電子装備だったのです。

外見は未来のモンスター。中身は、すでに半導体へ主役を譲ったはずの真空管。

1976年の西側では、真空管は一般電子機器の主役をすでに退いていました。ラジオ、テレビ、計算機、軍用電子機器は、トランジスタやICへ移行していました。

もちろん、真空管が完全に消えていたわけではありません。高出力送信機、レーダー、X線管、マグネトロンなどでは残っていました。それでも、秘密のベールに包まれたマッハ3級の最新鋭迎撃機から真空管が出てきたことは、西側の目には強烈な時代錯誤として映りました。

この外見と内面の落差こそが、ミグ25の真空管騒動を世界的な話題にした理由でした。

「ミグ25は大したことない」という空気

その後、西側メディアでは「ミグ25は恐れていたほどではなかった」という論調が広がりました。世界の新聞や雑誌は、ソ連の怪物の正体を面白がるように報じました。

ソ連にとっては、最新鋭機を失っただけではありません。その中身まで見られ、しかも「真空管だらけ」と語られてしまった。国家の威信に泥を塗られたような出来事だったと言えるでしょう。

一方、西側にとっては国民を説得する格好の機会にもなりました。

「ソ連は恐ろしい。しかし、彼らの技術は見かけほど進んでいない」
「西側の半導体技術こそが、自由主義陣営の優位を支えている」

そう説明するには、ミグ25事件はあまりにも分かりやすい材料だったのです。

ミグ25の内部がICチップではなく真空管だらけだったことに驚き笑う人々のイラスト

真空管は遅れか、合理性か

しかし、話はそこで終わりません。数十年が経った現在、専門家や軍用機マニアの間でも、ミグ25の評価は単純ではありません。

一つの見方は、ソ連が半導体やICの分野で西側に遅れていたため、真空管を使わざるを得なかったというものです。西側のように小型で高性能なICを航空電子機器にふんだんに使う余裕がなかった。だから重くても、古くても、作れて、直せて、必要な性能を出せる技術を選んだのではないか、という見方です。

ミグ25は速度と高高度迎撃に極端に振った機体でした。反面、航続距離や機動性、エンジン寿命、電子装備の洗練度には制約がありました。

この点では、限られた条件の中で航続距離と運動性能を極限まで追求した零戦にも似たものがあります。目的のために何かを極端に伸ばし、その代わりに別の余裕を削る。ミグ25にも、そうした無理のある設計思想があったのではないか、というわけです。

一方で、真空管にも軍事的な利点があったという見方もあります。真空管は大きく重く、熱も持ちます。しかし高出力に強く、寒冷地や過酷な環境でも扱いやすく、整備しやすい面があります。冷戦期には、核爆発による電磁パルスへの耐性という点でも、半導体より有利だと考えられていました。

つまりソ連は、半導体を使えなかっただけではなく、あえて真空管を使った部分もあったのではないか。繊細で高価なハイテク機ではなく、荒っぽくても確実に飛び、巨大なレーダーと強力なエンジンで高速・高高度の敵を迎撃する。ミグ25は、そういう思想で作られた兵器だったとも言えます。

正確には、ミグ25全体が真空管だけでできていたわけではありません。「真空管の集合体」という表現は、当時の衝撃を伝えるための象徴的な言い方として使うのがよいでしょう。

おそらく答えは、その両方です。ミグ25には、ソ連の半導体技術の遅れが表れていました。しかし同時に、ソ連なりの軍事思想と運用環境に合わせた合理性もありました。

今のGPU競争にもつながる話

今では、世界はGPUやAI向け半導体をめぐって競い合っています。どの国が先端チップを設計し、どの国が製造し、どの国が手に入れられるのか。それが産業だけでなく、安全保障まで左右する時代になりました。

しかし、その競争の原点は、すでに冷戦時代にありました。ミグ25亡命事件は、そのことを象徴する出来事だったのです。

当時の技術者たちは、まるで浦島太郎のような気分だったのかもしれません。未来の怪物を開けたはずなのに、そこから出てきたのは、自分たちがすでに過去のものだと思っていた技術だった。

けれど、その真空管は単なる骨董品ではありませんでした。そこには、ソ連の技術的制約、軍事思想、過酷な運用環境、そして西側とは違う合理性が詰まっていました。

玉手箱から立ちのぼった白い煙は、浦島太郎を老人にした煙ではなく、真空管の熱と、半導体時代の始まりを告げる煙だったのかもしれません。

ミグ25は、未来から来た怪物ではありませんでした。しかし、ただの時代遅れでもありませんでした。

開けてビックリ玉手箱。その中に入っていた真空管は、半導体をめぐる競争がすでに国家の命運を左右していたことを教えてくれる、冷戦時代の小さな証拠だったのです。

参考リンク


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